先日、以下の記事を書きました。


■『欲しい』と『必要』、その境目はどこにあるのだろうか?


と。そこで「必」よりもいかに「欲」と「見得」にかられた買い物が多いことか!ということに気づきました。というか、以前から気づいていたのですが、そのすさまじい現実を突きつけられた気分ですorz

私ってこんなことばっかり繰り返していますねぇ~遠い目。

ま、ともあれ、増税も重なりますので、この機会に買い物とついてツラツラと考えることも必要なのかな、と思っています。わたしは行動よりもまず理屈と理論を必要とする面倒くさい性格なので。。。



ネットでの買い物はよくないこと?


これが意外とドツボにはまっております。

以前、■ネットでモノを買うということ。という記事を書いているのですが、その時に思ったこと。


ネットでモノを買う = 頭で買う(理屈と欲望がごちゃごちゃ)
実店舗でモノを買う = 自分の感覚で買う(そこに現実性がある)


で、なんでか、ネットでモノを買うということはよくない、なので実店舗で実際に商品に触れて買い物をしようと思いました。

感覚や感触、気持ではなく、その機能性ゆえにモノを買うのだと。非常にストーンと胸に入ってきました。

実際に商品に触れることなく、商品説明やレビュー、口コミなどを参考に頭で決断をして、買い物をします。もちろん、そこにいたるまで写真や動画に触れて心動かされて買う、ということもあるでしょう。でも、それ以上にその商品に付随する説明文やキャッチ、口コミ、レビューにも頭が動かされていることを感じます。

それが悪いと決め付けておられるのではなく、実際にモノに触れて、感触を楽しみ、心動かされて、買うのとは違う次元がそこにはある、と展開されていました。確かに違う次元があるのかもしれない、と思いました。


ネットショッピングは感覚に訴える買い物ではなく、頭で買うもの=優越感、見得、欲望ゆえの買い物が多いからよくないよね、とその時は自分の中で結論付けました。

でも、これもなんだか違うんだよね、理屈としては、と今は思っています。



そして、3月の課題は「『欲しい』と『必要』、その境目はどこにあるのだろうか?」


そう、やはり、その境目がわたしの中で微妙にぶれている気がします。

自分の中で「必」と「欲」がっはきりとしていれば、ネットでの買い物も実店舗での買い物も何も悪くない。すべては買う人の意識の持ち方次第なのだ、と。

わたしの頭の中で一人、ぐるぐーると考えているとおさまりがつきません。

なので、ネットにて発見した以下の文章を。しばし考え、また心の整理のために記事にすると思います。なお、会員登録をしないと全文がみれませんが、無料ですので、是非、どうぞ。

元記事 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120702/234028/?P=1

必要”と“欲しい”で語りかける言葉は違う


 デフレ社会の現在ではあるが、増税に収入減など悪化する景気に対抗するため節約志向が高まっている。節約の基本はお金を使わないこと。そこでよく言われるのが「欲しいモノを買うのではなく必要なモノを買いなさい」という言葉。また、“必要”と“欲しい”を考えるとき、広告業界では、“ニーズ”や“ウォンツ”という言葉も使われる。では、欲しいものと必要なものとの境界線はどこにあるのだろうか?

生活必需品が必要なもの!?

 必要なものとは、単純に考えれば生活必需品となる。つまり衣食住に関するものであろう。住まいに洋服、あとは食べ物である。心理学やマーケティング業界でよく使われるマズローの欲求の5段階で言えば、もっとも基本的な欲求である第1段階の生理的欲求を満たすために必要なものとなろう。

“欲求”というからには、欲しいものということになるのだろうが、最低限の生活を営む権利を日本国憲法の下で保証された我々にとっては、生きるために必要なものである。

20130309_マズロー

 しかし、これにしても、通常の生活をしている限り、すぐに第2段階の安全の欲求に移行する。安全の欲求を満たすために必要なものとは、他の生物から襲われず風雨で壊れることのない安全に暮らせる住まい、死ぬことのない安全な食べ物、などだ。たとえば、鍵がかかる住居、農薬などに汚染されていない野菜などの食物、主食である炭水化物だけではなく脂質、タンパク質、ビタミンなどが採れる、健康を保てるバランスの良い食事なども入るだろう。

 東日本大震災ではしばらくのあいだ多くの方々が避難所住まいを余儀なくされた。そのあいだに国や自治体から提供されたのは、この第1段階で必要なものだった。しかし避難所ではプライバシーは守りにくく、ゆっくり寝ることもできない。そこですぐに検討し、建設されたのが仮設住宅だった。他者が入ることなく安全に暮らせる住まいである。

 つまり現代社会では、欲求の第2段階までが“必要”とみなされる。必要なものは、なくなれば、すぐに補充しなければならない。そういう意味で自分の生活を見回してみると、日常的に消費され、絶対的に必要なものは、住まいはもとより、米やパン、トイレットペーパーやティッシュ、石けん、シャンプーの類いだ。学生であれば文房具も必要だろう。

 しかしテレビ番組を見ても米やトイレットペーパーのCMを見ることはない。片やパンや石けん、シャンプーのCMを見ることはある。単純にメーカーの売り上げ規模の問題ともいえるが、それ以前にCMまで打たなくても生活必需品は日常的に売れているからなのだろう。と同時に商品やメーカーによって、そう大きな差はないものともいえる。

 最近の家電業界の落ち込みは、テレビという家電製品がすでにコモディティ化していき、安売りされるがために利益が取れなくなってきたといわれている。コモディティ化とは、日常品化、消耗品化といった意味。商品に差がなく、どれを買っても同じという状態だ。つまり、テレビはトイレットペーパー化したわけである。しかし、消耗するには時間がかかるので、むしろトイレットペーパー以下、儲かる商品ではなくなった。

 商品ごとの差をいくら声高に叫んでもあまり違いがないのであれば、生活者とのコミュニケーションは必要最低限となる。つまり商品のパッケージのみである。大仰な宣伝は経費の無駄遣いでしかないのだ。

欲しいものはこうやって売れる



 翻って欲しいものを考えてみよう。欲しいものとは、“欲しい”という感情が決める。客観的にいえば、“あってもなくてもいいがあれば便利なもの”、もしくは“あれば気持ちが安らぐ”など個々人の感情を安定させるものだといえる。

 自動車は、その昔から“ぜいたく品”として取り扱われてきた。だからこそその延長線上で、いまでも消費税に加えて、高い自動車税に、なぜか自動車重量税、自動車取得税などいう意味のわからない税金を課して、購入者から徴収する。「ぜいたく品を買うほどだから、そのくらいの税金は払えるだろう」というわけである。

 しかしそんな自動車のなかでも軽自動車は別格。排気量2000ccまでのクルマの自動車税は年間3万9500円だが、軽自動車税は7200円、5分の1以下だ。軽自動車は生活必需品のなかに入れてもいいということなのだろうか。

 ただこの考え方では、指輪などいわゆる宝飾品にも重量税が必要となる。ぜいたく品として、何カラット以上は数万円という税金が課せられてもおかしくない。が、現実は消費税のみである。1989年までは、高額宝飾品や毛皮、ゴルフクラブなどに物品税といういわゆる“ぜいたく税”が課せられていたが、消費税導入と同時に廃止された。

 さてそれら欲しいものは、多弁に我々生活者に語りかける。たとえば、ゴルフクラブ。「飛距離が伸びる」だの「最高のコントロール性能」だの、これでもかと語りかけられて、思わず試打もせずに買ってしまうわけだ。宝飾品は、物言わず、輝きで語りかける。その輝きで多くの女性を中心に「すてき」や「かわいい」などの感情を芽生えさせる。

 ではなぜ欲しくなるのだろうか。それはすなわちマズローの4段階目「自我の欲求」を満たすからである。自我の欲求とは、承認の欲求ともいわれ、“他人から認められたい”という欲求である。最近ではフェイスブックでの「いいね!」ボタンを押されたいという欲求ともいえようか。逆にだからこそフェイスブックが世界中に拡がっている所以でもある。人間の本能に根ざしたサービスなのだ。

 そう考えると欲しいものは、他人が欲しがるもの、羨ましく思うものでもある。他人も欲しがるものを手に入れ、または体験して自慢するわけだ。趣味が悪いともいえるが、そのような「見せびらかす」行為にフェイスブックが一役買っていることになる。

人々の非孤独願望



 ところで、ここでマズローの3段階目にも触れておこう。この「社会的欲求」は、文字通り“社会に属したい”という欲求で、“人と触れ合いたい”という感情もこれにあたる。現代社会では、孤独を感じている人が増えている。私が運営しているメール悩み相談サービス『マイ・カウンセラー』でも、孤独に耐えきれないという相談が相当数寄せられる。

 孤独を恐れているのに、会社や学校に馴染めず、友達を作ることや人付き合いをすることができず、引き籠もりになってしまう。本来であれば、家族に“所属”しているのであれば、孤独から解放されるはずだが、悩みを訴える人のほとんどは家族関係が複雑で、小さなころから家族に“所属”していない状況で育っている。

 少しでも前進する気持ちがあれば、どこか所属するための行動を起こすのだろうが、すでに人間関係に疲れている人々は、それすらやれずにますます引き籠もってしまい、次第に精神を病んでしまうことになる。

 ミクシィやフェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)は、まさしく“だれかと触れ合いたい”人々が集うバーチャルな空間ではあるが、他人の幸せな状況を目にして、ますます落ち込み孤独感を味わう人もいる。そういう人にとってSNSは、もはやコミュニケーションの場ではない。前向きな欲求が持てない人にものを売ることは難しい。

必要なものはこう語る



 さて、最低限必要なもので生理的にも安全性も満たされたとする。しかし人間、“より”便利なもの、“より”気持ちが安らぐものが目の前に登場すると感情を刺激される。この“より~”というものが、いわゆる付加価値だ。必要なものに付加される価値もまた饒舌なのである。とはいえ、前述のように商品を語るのはパッケージのみということが多い。であれば、商品名に自己主張させようと考えてもおかしくはない。

 たとえばトイレットペーパーやティッシュペーパー。これらは、ほとんどの場合、値段だけで購入する人が多いと思う。しかしそこに付加価値を付けると、基準は値段だけではなくなる。『シャワートイレのためにつくった吸水力が2倍のトイレットペーパー』(日清紡ペーパー プロダクツ株式会社)というトイレットペーパーがある。これこそまさに“商品名=付加価値である機能の説明”だ。店頭に並べられたとき、通常なによりも大きく表示されるのは値段だ。多くは商品とは別に手描きなどPOP(Point Of Purchase advertising)で表示される。その次に商品名。パッケージに書かれた小さな文字は目に入らない。POPで書いてあればいいが期待できないのであれば、商品名をそのまま商品説明にしてしまうのも潔い。



 また、同じ値段でも、生活者はより便利なものを購入したがる。であれば、便利を主張することも大切だ。コクヨ株式会社(現コクヨS&T株式会社)が2003年に発売した消しゴム『カドケシ』は、消しゴムの“より便利”を具現化したものである。商品名もさることながら、その形状は独特で消しゴム売り場でも異彩を放つ。2005年には、ニューヨーク近代美術館(The Museum of Modern Art, New York)の『MoMAデザインコレクション』にも選定された。それでいて税込み157円という値段。爆発的にヒットしたのもよくわかる。



 生活に必要なものであり、繰り返し購入される消耗品だからこそ、我々の意識の先にある“ちょっとした便利”を実現すれば、それは売ることなく売れるモノとなっていく。

“欲しい”の上に“必要”が作られる



 このように考えると、必要なものは欲しいものの上にカタチ作られていることがわかる。マズローの5段階欲求でいえば、生命を維持するための「生理的欲求」である、食べたい、寝たい、排泄したいなどの欲求を満足させるために最低限に必要なものがある。

 次の2段階「安全の欲求」を満たすためには前述のように、安全に住む場所、安全な食べ物、社会活動をするうえでは、安全な靴や暑さ寒さで体調を崩すことがない安全な服装も必要になってくる。デフレであり、ファストファッションなどの登場で、安全を得るために必要なものも低価格で手に入るような時代である。

 身にまとうものであれば自身が傷つくという大事に即結びつくということは少ないだろう。しかし食べるものをはじめ生命の危険に直結することは現代社会においても存在する。我々は、安いや美味しいといった価値が付加されたものに飛びつきがちだ。しかし万一安全でないものであれば、即座に生命の危険にさらされる。

 いまだ都会において飲食店で出されたものを食べて食中毒で亡くなる方がいる。チラシやパンフレット、Webサイトで美辞麗句を並べ、安全を謳っていても、それが本当かどうか見抜くには相当な眼力が必要だ。しかしとはいえ、なにかしらのメッセージが隠されている。その多くは値段ではなかろうか。

 第1回目に例として挙げた牛丼は、各社現在1杯300円を切っているのが現状だ。企業努力で安全性を保ちながら、その値段で提供できているのは、もはや驚きでしかない。しかし、その値段で出せている背景は、あらためて理解しておかなければならない。マクドナルドしかり、それほどの低価格は莫大なスケールメリットがなければなしえない。であれば、スケールなくして低価格で提供している店は、いくら言葉を並べていても、裏になにかあると疑うことが必要だ。

 また、先般の高速バスの死傷事故も結局は“低価格”という付加価値を創出するために運転手の無理な勤務体系があった。しかしこれにおいても事前に疑うことができたはずだ。そこには“低価格”というメッセージがあったのだから。このようになにもかもが手に入れられると思われる現代社会においても、我々が安全を手に入れるには残念ながら我々個々人が自衛するしかない。

 第2段階の「安全の欲求」が満たされたうえで第3段階の「社会的欲求」を満たしたくなるという人間の欲求だが、社会的欲求をもつもたないに関わらず、我々は幼少のころから教育を受ける権利を行使している。義務教育では授業料が無料だが、現在教科書も無料で供給されている。

 しかし教育を受けるためにはほかに必要なものも当然ある。鞄に文房具などだ。これらメーカーは、先の『カドケシ』を開発したコクヨのように、知恵を絞って毎年のように新製品を開発・発表している。すでに数多く流通している商品分野での新開発は大変な苦労ではあろうが、生活者と双方向にコミュニケーションをとることによって、まだまだ創意工夫のポイントは残されているだろう。

 そう。実は、いままさに始まったばかりなのである。ソーシャルメディア元年と言われる今年、メーカーは生活者とのコミュニケーションを増やしていくべきであり、そうしないと取り残されていく可能性は大きくなる。

 現在私が受け持っている大学の授業では、学生たちに生活において不便なところを発見・発表させている。そして、それを便利に変えるにはどうすればよいかという議論を毎週行なっている。

 毎週不便なところが“発見”され、議論されているということを考慮すると、まだまだ生活者にとって便利なものを開発する余地はある。我々の欲求の上に作られる必要なものを、より便利に、より魅力的にするためには立ち止まることはできないのである。



しばし考えます。

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2014/03/09 08:29 [edit]

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