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Sun.

■人間関係を定義する。  

昨夜、■弟であれ、妹であれ、親族になると・・・。と言う記事を書きました。

何故か、眠れぬ夜を過ごしました。

そして、気付きました。

わたしは人間関係を定義しないと落ち着かない、と。

定義(ていぎ、英語: definition)は、一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業である。一般的にそれは「○○とは・・・・・である」という言い換えの形で行われる。基本的に定義が決められる場合は1つである。これは、複数の場合、矛盾が生じるからである。


これはあくまでも一般的な意味。

わたしのいう人間関係の定義とはわたしの中での定義なのだ。誰か周囲とあわせる、あわせないというものではなく、自分の心の中で収まりが付くように願い、定義をしていく癖がある。ある意味、決め付け、断定、独断的とも言えるのではないでしょうか。

そのことに気付いたとき、愕然としました。


何故、目の前にいる人をそのままで受け入れることができないのか、と。何故、目の前にいる人を定義しないと認識できないのだろうか。

たとえば、苦手な伯父がいる。わたしの中で彼はもう子供の頃から苦手な存在で、今でも彼はわたしの中で「苦手な伯父」というカテゴリーに分類されている。それに伴い、伯父の妻である伯母も苦手な人、という認識になってしまっていっている。そして、伯父伯母ともに永遠に苦手な人、というカテゴリーでしか見れない。

でも、一歩、他の側面からみると彼らはいたって気前のいい伯父伯母という側面もあるだろう。が、それを認識するより先に苦手な伯父伯母という認識でしか見ることができなくなってしまっている。

何たる視野の狭さか。


わたしは亡き祖父に性格が似ている、とよく言われます。

わたしも似ていると思います。祖父は自由な人でした。一つ屋根の下で共に過ごし、家族の中にいながら、家族の外にいるような人でした。自由気まま、という言葉が当てはまる人でした。そして、祖父はとても精神的に強い人だったように記憶しています。

祖父は人間関係を定義する人ではなかったように思います。どちらかというと人にあまり興味がない人だったように思います。孫であるわたしを見て嬉しそうに笑うけれど、遊び相手になることは決してなく、自分の好きなことを追求する人でした。フリーダムな人でした。祖父がもしわたしの父だったら、きっとイライラしたでしょう。そう、祖父は人間関係を軽んじ、自分の世界に埋没できる強さを持っていました。


でも、わたしは脆いんだよな~

祖父のように自由になりたい、と思いながら、一方でそうなりきれない何かがわたしの心を縛っています。

まぁ、でも、祖父のような生き方を今から追求するのは難しい・・・


また、ぐるぐると迷走しそうです。





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